令和2年7月豪雨災害における球磨村の初動対応と県の支援について

調査

(1)日 時 令和5年4月26日(水)午後2時から4時まで
(2)場 所 球磨村役場 3階小会議室(熊本県球磨郡球磨村大字渡丙1730番地)
説明後村内各所へ移動
(3)対応者 総務課防災監理監 中渡様
(4)調査概要

球磨村は村全体が山岳地帯で全体の88%が森林であり、村の中央には日本3大急流の1つ球磨川が流れている。
村に通じる主要道は国道219号1本で、浸水想定区域図では球磨川流域のほとんどの集落が浸水すると想定されるなど、厳しい地形条件を有している。
令和2年7月豪雨で記録的短時間大雨情報が8時間の間に3回発表するほどの観測開始以来最大雨量を記録し、25名の命が奪われた。

《球磨村役場の初動対応》

7月3日(金)
17:00 避難準備・高齢者等避難開始
(この段階で動いたのは球磨村と氷川町だけとのこと)

《球磨村役場の初動対応》

◆避難してほしいが夜中に増水した川の近くを避難させることはかえって危険を増大させる

◆明るくなれば状況がわかるはず。持ちこたえてほしい

自衛隊の災害派遣、ヘリの救助状況、市房ダムの情報等
葛藤しつつ言葉を選びながらアドリブで避難を呼びかけた

※村内の防災行政無線77基中運用できたのは52基。
25基は水没、停電、倒壊のため運用できない状態だった

22:20 避難勧告を発令(避難指示)

7月4日(土)
3:30 避難指示(緊急)を発令(緊急安全確保)
5:36 自衛隊が災害派遣要請を受理
12:30 航空自衛隊ヘリによる救助活動開始
12:58 えびの24iの初動対応部隊が千寿園で救助活動開始

7月5日(日)
9:30 神瀬乗光寺において100名救助中
13:30 熊本県の支援チーム5名到着
(熊本地震の経験が生かされ、とても迅速に対応してくれた)

7月6日(月)
5:00 村長、防災管理官、広報担当が桜ドームへ移動開始
(危険が伴う中村長自らの足で見に行くことを決断。反対もあったがそれしか方法がなかった。)
15:00 災害対策本部を桜ドームに移転する旨を決定
(他に安全な場所がなく自然と人が集まっていた。桜ドームに移転することは全く想定していなかった)

※災害対策本部が移された球磨村総合運動公園「さくらドーム」

《被害の概要》

人的被災状況
千寿園のほか、今村、島田、淋、大坂間、堤岩戸で25名の方が犠牲(溺死)となった。
球磨川の急激な雑炊により、垂直避難では避難しきれなかった。
土砂災害による犠牲者がいなかったのは不幸中の幸いだった。

建物被害
球磨村全体の35%にあたる建物が被害を受けた。

公共施設被害
球磨村全体の68%にあたる公共施設が被災。 特に公営住宅は80戸中65戸が被災した。
国道219号の被災により村全体が孤立。
捜索、人命救助活動、応急復旧活動に多大な影響があった。

孤立集落発生状況
解消まで9日間→球磨村が災害に弱い村であることを証明した。

水道復旧の状況
今も濁りが出るなど飲料に適さない地域もある。
特に神瀬地区は土石流被害が多く時間を要した。

■避難所の状況
多くの住民が4ヶ月にわたる避難所生活を余儀なくされた。
旧多良木高校及び人吉1中等の施設を利用した村外避難を余儀なくされた。

 

《豪雨災害を振り返って》

コロナ禍の複合災害対応
最大592名の避難者を、村内外最大13の施設に分散して収容した。

■住民避難と公助による救助の実態
ハード事業は正常性のバイアスを助長させる要因となった。
村に通じる道路が1本しかなく、悪天候のため航空機が使用できず、自衛隊が球磨村で活動を開始するまで7時間を要した。

《ポイント》
集落ごとに注意点が違う。水に気をつけなければならない地域、土砂災害に気を付けなければいけない地域、等。
そのため住民自らが考え実践し梅雨時期前に防災体制を確立する。

《豪雨災害後の球磨村役場の防災施策》

◆村民防災ブロック会議(2023.4.18開催)
梅雨時期前までに準備すべき事項を明らかにする

◆全村民が避難について考える日(2023.5.14開催)
避難について住民自らが考え実践し梅雨期前に防災体制を確立

◆豪雨対応訓練(熊本県の計画)

◆防災学習
住民及び生徒児童が一体となり共助、公助を主体とした災害対応について体験型の防災学習を実施して防災意識の高揚を図る

◆その他の防災ソフト施策
自主防災組織の設置、自主防災活動、令和2年7月豪雨災害に係る教訓の伝承 等

《質疑応答》

問 木造の仮設住宅を拝見した。神奈川県でも木造の応急住宅を視察したことがある。家としてそのまま使えるようにプレハブではなく木で作ると聞いた。他県から支援を受けたのか

 おっしゃるとおり。熊本地震の経験から木造が入ってきたと聞いている。まずは7月中の早い段階から北海道の方からムービングハウスの支援があった。

※球磨村役場に伺う前に市房ダムや水上村の様子も確認

 

【考察】

球磨村が有する地形(球磨村は球磨川の中流域に位置し、村内の渡地区から狭隘部が始まる)は特殊で、集水域から集めた多くの水が川を下り、渡地区の狭隘部で大きく氾濫する。その結果未明に降った夜間の避難を呼びかける必要性がありました。

球磨川に注ぐ支流が土砂で埋まり、支流の川がそれぞれ溢れ、集落を飲み込みました。
球磨村の集落数は78、球磨川本流沿いは26あり、また52の防災無線の内25基が水没、停電、倒壊で使い物にならなかったとのこと。
このことから、代替えの手段が必要であるとともに、住民の災害への危機感の感度と具体的な日頃の備えが重要と感じました。
防災管理の責任者を1人にしないことも災害を経験したからこその判断だと思います。

様々な課題がありますが、県の果たす役割としては、球磨村村民の避難箇所が村内にかぎらず、周辺の八代市、人吉市などにも及んだ(村外避難)ことから、日ごろから市町村と県があらかじめ、住まう自治体以外の避難場所を指定するなど県が行う広域調整の役割について重要性を感じました。

また小さな自治体ではすぐにマンパワーが限界を迎え、迅速な県の人的支援が必要であると考えられます。
球磨村では熊本県だけでなく、長崎県や広島県などの広域自治体も支援へ駆けつけたそう。球磨川が狭隘部で孤立しやすいからこそ、県が行う球磨川流域治水の役割を日常から浸透させる必要性があります。
特に自分が住む流域のボトルネック箇所や上流域への意識付けが極めて大事です。
国、県、村が行うハード整備は、安心が当たりまえという意識を増長させる(正常性バイアスを助長させる)ため、特に県はそのことを肝に銘じてハード整備を行わなければなりません。ハードとソフトの両方の整備、意識づけが大事であると感じました。

神奈川県議会議員:佐藤けいすけ

 

 

 

 

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